南房総市塩浦 塩浦不動の滝  記録カード   滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる

●遷急点名 塩浦不動の滝  ●水系名 境川  ●立地沢名 境川  ● 滝一覧リスト とのリンク

2011/12/30作成。2012/01/06一部追加 
 <もくじ> 
   概要    ・・・・・牛のよだれのように延々と下に続いています。 お急ぎの方は、概要だけで。(^_^.)
   
滝の名前・発見史、文献
   交通ルート
   滝の地学
    1.滝の成因
    2.滝の微地形とその解釈
   滝の諸元
   参考文献
   未調査事項
   画像アルバム
     文中の、茶色語は地学あるいはこのHP特有の用語(身内の隠語)なので用語解説リンクあり。
  塩浦不動の滝 概要
 図1 塩浦不動の滝
滝下段の全景
大雨後なので、中央の本来の落ち口に水流がある。
 左の流れは余水吐Aの水。こちらのみ落ちることも多い。
 上方の葉間に滝上段の滝面が見える。
● 概要
旧白浜町塩浦の境川にかかる滝。滝高約20mで、上段(上滝)・下段(本滝)の2つに分かれ、下段は県道からも見え、滝下まで簡単に行ける。上段は樹林に隠れてほとんど見えない。
 滝の下段(本滝)は、帯瀑・急傾斜壁状。

 滝の名称は水神として祀られている不動様から。

 滝上に3つの農業用水堰がありその水を、川の右岸と左岸に分水する場所になっている。

 古くから知られていたが、取水時には水が涸れてしまうこともあり、滝として紹介されたのは戦後である。

 滝のかかる岸壁は大地震によって隆起した海食崖で、画像に示すように、滝の下は海抜20m近い高さの陸地である。
 成因の分類としては、隆起海食崖型に分類される。

 安房地方沿岸には、海岸沿いに発達する海岸段丘面の背後に、隆起海食崖が長く連続している。小河川がその崖上から落下して、この種の海食崖型滝を作ることが多い。

 この滝のある境川は、館山・白浜・千倉地区で他の海食崖型滝のある小河川の中で、最も流域面積が広く水量が大である。そのため、この滝は、鴨川市太海の太海不動滝とならんで立派な滝といえよう。

 本滝上滝の2連の瀑布帯で、上滝は高さ4〜5mでその下が細くくびれ、すぐ下流で広い岩壁上に出て、本来は、岸壁を落ちて約15mの本滝となる。しかし、現在は取水のため、岸壁上で流れを横断する溝を掘り、分水して導水溝を両岸に付けている。

 本滝の水は、本来の落ち口の他、左岸右岸の導水溝の3箇所の余水吐A・B・Cから、その時々の状況で落ちていて、本来の落ち口から落ちることがむしろ少ない。その結果、二股であったり三股の水流になったりして、見るたびに滝の景色が変っている。
 
 海食崖の形成の時代は、滝下の旧海底が陸化した時期が、段丘面の時代で沼U面のすぐ後と考えられるので、約4000年ぐらい前。それまでは、海食によって岸壁が削られていたが、陸化後は、海食が止まり、その後4000年間は、境川の侵食が行われていたことになる。

 しかし、滝面の微地形から見て、4000年たっていても、1〜2m掘り込まれているだけで、変化は小さい。樹間に隠れている上段は、小さな峡谷を掘り込んでいるが、滝の後退は10m程度であり、変化は少ない。流域が大きいといっても、1平方キロにも満たず、川が小さくて削る力が無いためである。

 海食崖型の滝として、房総半島で代表的なものの一つといえる。 侵食の無能性が見どころかな。(^_^)
 滝の名前・発見史・文献
 図2 塩浦不動の滝位置図 赤丸:滝 
海岸段丘面区分 桃色:沼U面 緑:沼V面 黄:沼W面
50m以上は段彩
国土地理院発行25,000分の1地形図 白浜より作図
段丘面区分は中田ほか(1980)による
 
1.滝の名前
 不動堂にちなみ不動滝。 区別のため、小字名+不動滝。

2,滝の発見史・文献
 この滝は、常時水量があって、国道からも近く、涼源寺の滝とともに、滝人間達だけでなく、安房地方の一般の方々にも知られていた滝である。しかし、取水時には水が涸れてしまうこともあるせいか、稿本千葉県誌や安房郡誌に採録されていない。滝の紹介が、文字になったのは新しく、戦後である。

 私の管見では、昭和54年(1979年)に、地元の房日新聞の記事で紹介されたのが最初と思われる。

 房日新聞で紹介されてのち、筆者が県立安房博物館や県立上総博物館の滝の展示で紹介し、インターネット上でも紹介した。また、雑誌 おっさ 平成11年5月号に、藤平浩一氏。
う沢喜久雄・鵜沢幸子氏の『ちば滝めぐり』(2009)、忍足利彦氏の『房州の滝』(2011)等でも採録されている。

 昭和54年の房日新聞の記事が一番詳しいので引用掲載する。
===(引用はじめ)==================
 房日新聞 昭和54年4月22日号
南房総の伝説と名所・旧跡をたずねて 安房の滝めぐり
 不動の滝
  白浜町塩浦
 白浜町・乙浜と塩浦の地区境を流れる川の上流にある滝で、浅間神社(塩浦)の右手にある道を県道から入って行く。
 道は入ると昭和十四年五月竣工の菅ヶ谷タネイリ新堰豊水記念碑と身の丈もある地蔵菩薩の前で二手に分かれる。左の道は白浜東部保育園のある宝泉寺へ、滝に行くには右の道を進む。道は一端下り堤の前を横切り、登り坂になる。、ここにも赤い鉄骨にトタン屋根の祠にお地蔵さんがまつってある。
 その前を通り水田地帯に足をふみこむと滝が遠望(県道からも)できる。畦道を通って行くと滝下に出るが、左手の祠には不動明王がまつられている。
 滝は二段になっていて、上から下まで三十メートルほどある。滝上あるいは段の所に行くには「白浜環境保全地域」の立て看板の脇にある石段を登って行く。途中で左に行けば段の部分に、そのまま行けば滝上に続いている。
 滝の上流には大きな貯水池があって、この水が滝となって落水しているわけだが普段は水なしの滝。滝は段のところで滝壺を作っているが、これはコンクリートでせき止めたものであり、人工の臭の強い滝である。
(写真は省略)
===(引用終わり)=================================
 現在、県道は国道になり、当時あった「白浜環境保全地域」の看板は朽ち果ててみあたらないが、その他は、変わっていない。
 交通ルート
 上記、房日新聞の記事を参照。 文中の県道(現在は国道410号)からのスタート地点の「浅間神社」は、上記所在地図滝位置の南にある神社。
 滝下まで、歩道があり簡単に行くことができる。
 滝の地学   
 1.滝・遷急区間の位置、地形面との関係など  ページのはじめに戻る
 図3 隆起海食崖型の滝模式図
              By Takioyazi

 ● 隆起海食崖型の滝とは

 屏風浦のように、海が陸地を削っている所では、海岸沿いに海によって削られた崖ができ、この崖を「海食崖」という。海による侵食が続けば、海食崖は陸地側に後退していく。つまり、崖が陸地に食い込んでくることになる。この結果できる滝である。

 海岸だから、当然、川も流れ込んでくる。川の河口も同じように削られるので段ができることになるが、大きな川や河口が軟らかい地質の所は、川がその段を削ってしまうので滝はできない。
しかし、川が小さかったり、河口に硬い岩石がでていて川が削るのが遅いと、海食崖が河口に残り、河は海食崖上から落ちて滝になる(図3の1⇒2)。

 房総半島沿岸には、屏風ヶ浦や大原町沿岸のように現成の海食崖はかなりあるのだが、現成の海食崖に懸かる滝で見るにたえるものはない。(注)  水量が少ない上にほとんどが人工的に改変されてしまっている。

 一方、安房地方南部沿岸には、大地震により隆起してできた海岸段丘がつらなっていて、その山側に陸化した過去の海食崖が続いている。 この隆起海食崖に懸かる滝がたくさんある(図3の2⇒3)。

 これらの滝も、もともと川が小さい上に、まず例外なく、滝の直上に堰を作って農業用水を取水しているので、普段は水がチョロチョロの状態で、立派な滝というのはあまりない。

 また、房総の滝は時代的に新しいものが多く、滝の始まりの年齢も2,000 〜3,000 年ぐらいより古いものはほとんどないが、安房地方の隆起海食崖に懸かる滝は、川が小さくて削る力が無いため、5,000 〜6,000 年経っている古いものがある。

 塩浦不動滝は、この隆起海食崖型の滝のひとつである。
 
 なお、この滝のある境川は、館山・白浜・千倉地区で他の海食崖型滝のある小河川の中で、最も流域面積が広いため、水量が大である。この滝は、鴨川市太海の太海不動滝とならんで立派な滝といえよう・・・図2 地図参照。
 また、年代の点では、塩浦不動の滝下流の海岸平野は、沼U、V、W面の3つの海岸段丘面からなり、境川が海食崖を落ちる所が、塩浦不動滝である。この段丘面と海食崖との関係から、約4,000年前頃からの滝と考えられる・・・図2 地図参照。


 

 図4 隆起海食崖と不動滝
 隆起海食崖と塩浦不動の滝

 図4の画像は、沼V面上より、塩浦不動滝を撮影。

 壁のように続く隆起海食崖に滝が懸かっている。手前の平坦面は、海岸段丘面の沼V面。 崖の直下には、沼U面よりやや新しい段丘面がある。
 

 図5 境川の地形断面
 

 図2の地形図の等高線から作成した、境川河床の縦断図である。

 図3に示す、模式断面と同様のことが読み取れよう。

 海食崖の形成の時代は、滝下の旧海底が陸化した時期が、段丘面の時代で沼U面のすぐ後と考えられるので、約4000年ぐらい前。 それまでは、海食によって岸壁が削られていたが、陸化後は、海食が止まり、その後4000年間は、境川の侵食が行われていたことになる。
 ただし、後述する滝面・滝崖の観察で分かるように、川(境川)による侵食は小さく、特に、下段(本滝)はほとんど後退していない。
 2.滝面・滝崖の観察と解釈    ページのはじめに戻る   


図6 塩浦不動滝の地形概念図
図7 上滝約5mと滝下の堰
 図6に、塩浦不動滝の地形概念図を示す。

 2連 上滝5m 本滝 15mの降順瀑布帯で、上滝は高さ4〜5mでその下が細くくびれ、すぐ下流で広い岩壁上に出て、岸壁を落ちて約15mの本滝となる。

 滝の下段部分(本滝)は、帯瀑・急傾斜壁状。

 岸壁上で滝の流れを横断して溝を掘り、導水溝を両岸に付けている。

 本滝の水は、本来の落ち口の他、左岸右岸の導水溝の3箇所の余水吐A・B・Cから、その時々の状況で落ちていて、本来の落ち口から落ちることがむしろ少ない。
 そのため、二股であったり三股の水流になったりして、見るたびに変っている。

 人工の加わった程度としてみれば、加工滝ということになろう。
 発見史の項であげた本では、2股になっている滝などと紹介されているが、導水されていて本来の落ち口から落ちていないというべきである。

図8  導水溝 右岸側から分流点を見る      

図9 左岸側から分流点を見る
 4000年前まで、海食崖の発達に伴って、面的に岸壁が後退していた。それが陸化により、波食が止まり、線的な掘り込みによる河食のみが働くようになった。
 河食による滝面変化の微地形を滝がどの程度後退しているかの観点から見ると、樹間に隠れている上段は、小さな峡谷を掘り込んでいるが、滝の後退は10m程度であり、変化は少ない。
 本滝の方も、現在樹木や草で覆われている岸壁が海食崖として形成された部分で、本来の落ち口から下の水流の流れる凹所が河川が削り込んだ部分である。滝面の画像から見ると、4000年たっていても、海食崖として作られた岸壁から、1〜2m掘り込まれているだけで、変化は小さい。
 流域が大きいと行っても、1平方キロにも満たず、川が小さくて削る力が無いためである。
 ● 滝面水流の七変化

 滝の中途に導水溝があり、余水吐から水流が落ちている。
 本滝(下段)の水の落ち方は、余水吐のどこから水が落とされているかで、変わっていて、本来の落ち口から落ちていないことも多い。
 画像は、時期によって、落ち方が変わっている例を示した。
 
<左画像> 20040617撮影 余水吐A主体 右の本来の落ち口からも少々落水。 この状態が多いような気がする。

<中央画像> 20111204撮影 余水吐A(左側) + 本来の落ち口(右側)。  上部に上段の水が木の葉越しに見えている。

<右画像> 綿貫啓一氏提供。時期は不明。 余水吐A(左側) + 余水吐C(右側)。 本来の落ち口(中央の岸壁)は、全く落ちていない。 

19800824撮影

<左画像>余水吐C のみ。本来の落ち口(左側の岸壁)および余水吐Aからは、一滴も落ちていない。
中央上部に上段の水が木の葉越しに見えている。
<右画像>滝下からは見えない余水吐B  この時は余水吐Cより水量があった。普段は全く落ちていない。
 
 歴史遺物   
● 農業用水施設

 導水溝の所に立つと、目もくらむばかりで、簡単な細工にみえるがなかなかたいした仕事である。この導水した水を両岸に水田用水として自然流下させるわけで、この水はかなり広い水田に灌漑しているようである。
 特に右岸側は浅間神社の間の尾根を乗り越して、西方に持って行っているようだ。
 この用水の時期、範囲等調べてみる価値もありそう・・・未調査。

●滝不動堂
 滝の岩盤の向かって左手に、明治〜昭和?掘られたらしい不動の岩窟があり、石碑の不動像と倶利伽羅不動とが祀られている。
 彫刻の時代は、どう見ても明治か大正。⇒裏返して見なかった(残念)。
 用語参照リンク
  滝モドキ・滝タラズ→このHPの用語集
  滝面 →このHPの用語集
  逆層 →このHPの用語集
  帯瀑(たいばく) →このHPの用語集
  
降順型瀑布帯 →このHPの用語集
  遷急点 →このHPの用語集
  本滝 上滝 瀑布帯 →このHPの用語集参照 

  隆起海食崖 海食崖が大地震等で地盤盤隆起し、前面の海が陸化したもの。
   では、海食崖とは⇒岩石で構成されている海岸(岩石海岸)では、海に面した陸側の岩盤は押し寄せる波浪によって侵食され、破砕された岩屑は運搬される。低潮位面より上の潮間帯では風化作用と波浪による侵食作用が大きいため、侵食が陸側に向かって進行するに伴って潮間帯に平坦面が形成される。この平坦面を波食棚という。また、潮間帯より上部の岩石は、波浪の破壊作用を前面に受け、下部を波浪によってえぐられ、不安定になって崩壊し、崖ができる。この崖を海食崖という。波食棚と海食崖は岩石海岸の代表的な侵食地形である。波食棚は、岩石の抵抗性と海食の強さとの関係で、形成されない場合もあるが、海食崖はたいていの場合作られる。

  沼面 沼は館山市沼地区の地名による。安房地方の沿岸部に発達する海岸段丘面の名前。古い方から、沼T〜沼W面のW面に大きく分かれる。いずれも大地震の隆起に対応して海底が隆起して形成されたとされている。ちなみに、沼T面は、約6,000年前の縄文海進最盛期に対応するとされ、最新の沼W面は、元禄16年(1703年)の南関東の大地震(元禄関東地震)により陸化形成されたもの。沼T面を形成した地層を沼層と呼び、造礁サンゴ化石を産することで有名。
 注.現成海食崖に懸かる滝
 <海食崖に懸かる滝>
・稿本千葉県誌や夷隅郡誌に、御宿町浜の薬師滝が記され、唯一の現成海食崖滝であったが、20年程前に土木工事で蓋されてしまい、滝としては廃絶。

 <海食崖に懸かる滝モドキや、滝タラズ>
・南房総市大房岬の「大房不動滝」の下流が、現成の海食崖を落ちていて、自然のままの状態といえるが、滝というには水量が少ない。

・いすみ市大原の「鶴石の滝」、御宿町岩和田の「小浦の滝」は、人工のダム放水路が海食崖に懸かるもの。滝モドキですね。う沢氏ほか『ちば滝めぐり』に紹介がある。

・鴨川市天面の「天面浅間滝」は、大雨時しか水流のない濡れ滝。こっちは滝タラズ。う沢氏ほか『ちば滝めぐり』、忍足利彦氏『房州の滝』に紹介がある。
 また、木田 薫氏の「日本滝名鑑4000」にも「浅間様の滝 鴨川市太海」として採録されているが、「滝」に含めるかどうかの選択基準を問いたい。→こちらも参照
 滝の諸元
●滝の名称 塩浦不動滝
●所在地 南房総市白浜町塩浦
●水系  境川水系
●渓流名 境川
●地図  2.5万 白浜
●緯度経度 北緯139°55’05″ 東経34°54’48″(世界測地系)
●流域面積 0.64平方ku
●滝高 約20m(未測定) 上下2連で、本滝 約15m 上滝5m程度
●地層 千倉層群白間津層 
●岩質・構造 砂泥互層 逆層 
●成因 海食崖による滝:隆起海食崖型
●変遷 本滝の変化小。上滝は掘り込み10m程度後退。侵食後退量 未測定
●滝面 上滝 線滝・壁状。 本滝 帯瀑 線滝 急傾斜 滝面は海食崖起源で本来の形が平面円弧の急斜め壁状
●年代・同期 沼U面期の海食崖にかかる。 
 参考文献
●川上俊介・宍倉正展(2006) 地域地質研究報告(5万分の1地質図福)館山地域の地質.産総研地質調査総合センター 82p.
●中田ほか(1980) 房総半島南部の完新世海成生段丘と地殻変動 地理学評論53(1) 29-44
● 調査記録
調査日    19800824  野帳6-31 19800824
撮影年月日  19800824 20040617 2011120
● 当記録作成 
 2011/12/30
 未調査事項
 縦断面からは、比高が30mぐらいあり、上段の上流に、まだ滝があるかもしれない・
 分流溝等図化
 石造物の銘文等未調査。
 用水の規模、歴史等
    
 画像アルバム  


綿貫啓一氏撮影提供
 余水吐Aおよび余水吐Cより落水。
本来の落ち口(中央の岸壁)からは
落ちていない状態。
余水吐A主体
右の本来の落ち口からも少々落水。
この状態が多いような気がする。
 20040617撮影

<海食崖に懸かる不動滝> 県道より滝に行く途中より撮影。
県道からすぐの所に堰の記念碑(昭和14年に堰を作ったのだが、碑は昭和43年に建立したらしい)がある。
 この碑文の堰は、この碑のある所の川堰か、滝の上流の堰(地図だと3つある)か、その辺も調べる必要あり。
〔表〕 豊水記念碑 昭和十四年五月 竣工 字菅ヶ谷タネイリ新堰 組合長 秋山力蔵 役員一同
〔裏〕 建工 寄贈碑石 木村清一 昭和四十三年五月 区長 加藤鉄五郎 役員一同

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