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上総地方102●大網白里町 小中  小中大滝   所在地図はすぐ下にあり

 --見どころ 目次---  房総の滝列伝の、小中大滝の内容 を転載・加筆しました。
(1) 概要     千葉県最北のまともな自然の滝です。
(2) 川ができた話 東金崖線で、小中池上流で起こった河川争奪 
(3) 滝ができる話 川ができた後の、小中大滝のできかた →ここへ
(4) 小中大滝体験談 その1 ほんとにあった落ちた話 →ここへ
(5) 小中大滝体験談 その2 ゴントさんの、遭難寸前の冒険談 →ここへ
(6) データ  いつものデータ
 
その1。概要 千葉県最北のまともな自然の滝です。
文句なく、千葉県有数の貴重な自然です。破壊しないで後世に残したいものですね。

 <写真提供 並木健祐氏>・・・かっこいい滝ですね。
 
 
落差7m・・・うちの娘の夏休みの自由研究で滝上か
ら錘つけたロープを投げて計りました。 
滝の上に身を乗り出さなきゃならないので、凄ーく怖か
ったとのこと。


千葉市内にあると紹介されたこともあるけど、
大網白里町小中
(こなか)にあります。
 小中池という用水池があり、公園になっていますが、
その背後の斜面(東金崖線という、下総台地と上総丘陵
との境の急崖)を削る、小中川の峡谷にあります。


●滝名の由来小中大滝あるいは蕨谷の滝
どちらを使ってもよさそう。
大滝の用語は、大網から小中池へ行く道の傍らに立つ
大きな用水記念碑の碑文に「大滝」と刻まれています。
「蕨谷の滝」は、地元の小字からきた名称のようです。
大滝の方が通りがいいので使用します。

 滝面の形:滝面の分類
 線滝ですが、画像の前面にある崖が以前の主滝面で、そこを副滝が直線溝状に掘り込んで
いった形です。ちょっと前までは、複合型の滝面だったわけね。
今は、堀り込みが進んで、旧主滝には水が流れないから、面滝(壁型)→面滝(複合型・副滝直
線溝状)→線滝(溝状)と変化
してきた、結果の線滝です。
地形から、滝の最近の変化が読めて面白いですね。

滝面は垂直、直下型。全面滝壷。です。
  →主滝・副滝・本滝・滝面・滝崖 等用語はここを参照

 ●滝を作る地層と微地形:滝面と滝崖で違う形に・・
地層は、緩い逆層の砂泥互層です。上総層群市野々砂泥互層という、締まった砂と泥の泥勝ち
互層の泥層に懸かっています。画像で、橙に見えるのが、泥層。黒く見えるのが、砂層。

 水流の当たる所の滝面と、水流が当たらず風化・重力作用の働く所の滝崖とで同じ地層が、
違った表面形をしている
、の分かりますよね。(^o^)

 現在の滝崖(旧主滝面も)では、でっぱっているのが、泥層。 凹んでいるのが砂層です。

画像で見える滝崖は、すべて、滝面起源のものなので、作られたときは、みなほぼ垂直な平らな
面だったと思われますが、滝の後退により滝崖化したあと、その垂直な崖が滝崖としての侵食
作用を受けて、凹凸のある崖面に変化していると、読めます。 
 
● その他のコメント:  いろいろ、キャッチフレーズがつく滝です。
まず、
、 地学的には、千葉県最北の自然の滝です。
 最北というわけは、房総半島は北に行くと、岩がやわらかくなって、人工の滝以外は滝はできない
んですが、ここに自然の滝がある。 なぜなら、その滝の出来た理由が、普通じゃない理由だから
というわけです。その理由は後述します。
 それを業界用語で言うと、東金崖線沿いの河川争奪現象によって、新たな川ができたため 
といいます。 これより北に滝はありますが、皆、人間が加工、製作した滝です。

2、上で、述べたように、川ができても、滝ができると決まっているわけでないですが、
滝ができたのは、ちょっと硬い地層があって、削り残しているためです。
これも業界用語で言うと、市野々砂泥互層の存在による、局地的遷急点の形成といいます。

3、すぐ近くにあるのに、行くのが危険、ちゃんとした道がない滝です。
 まさに、知る人ぞ知る滝。簡単に見に行けないので、見に行った人しか知りません。
 20年以上前は、小中池の周りに道があり、その道から滝までの道があったので、簡単に行けたと
のことです。しかし、滝上流の川の荒廃により、押し出してきた土砂でその川沿いの道は跡形もなく
荒廃してしまい、道形すらなくなり、行くのに一苦労となりました。
 それに、小中池から行くと遠くて時間がかかって大変でした。
 最近、町で小中池を公園として整備していて、池の水位を上げ池の周りに新しい遊歩道を作る工
事が始まり、完成すれば簡単に行けるようになると思いますが、まだできていません。
 工事にともなって今までの道は厳重に交通止めになっていますし、道の先は水没しているとのこと
で、工事が完成するまで池からは行けそうもありません。
 
 というわけで、昭和の森公園のある、滝の上流から降りてきて、滝下に降りるのが、時間が少なく
てすむということになる。
 ところが、これが怖くて、危険。 アジサイかなにかの潅木にロープをかけて降りるのだが、
いつ抜けるか分かりません。
 ロシアンルーレットみたいで、岸壁に響く絶叫とともに誰がババを引くか、という話になっています。

 表には出ませんが、地域の小中学生の冒険の場にも、なっているらしい。(後述)

その2。川ができた話 東金崖線で、小中池上流で起こった河川争奪 

  小中川の河川争奪・・・河川争奪って説明しなかったけど、そのうちどこかに用語解説と図をつけます 

 滝の周辺地形の地図です。
 小中池の西と南が比高40〜50mの崖になっています。この崖は北にも南にも続いていて牛久−東金崖線と呼ばれる下総台地の東縁を限る地形です。
 
この崖は、太平洋側の河川と東京湾側の河川の分水界になっています。

ところが、小中川は図のように流域が崖より西側にあります。
さらに、その流域はもとは、西側に流れる村田川の上流だったようにみえますね。

実は、村田川の上流が小中川に河川争奪された地形なのです。

この様子は、下の図を見てください。図のように流域が変化したわけです。

東金崖線は、田山(1930)、小中池上流の河川争奪は籠瀬(1979)が記載した地形です。

争奪した小中川は下刻して、その遷急点は上の図の地点まで達しています。
小中大滝は、より下流にあるもう1つの遷急点ですが、上記の論文には記載がありません。

この遷急点(小中大滝●)は、河川争奪後にできたのですがどのようにできたのでしょうか。
それは下を見よ


その3。滝ができる話 川ができた後の、小中大滝のできかた 

 小中川の模式断面です。

   瀑布帯の形から→滝の変化→なぜ、滝があるのか。 

東金崖線の地質は、2層になっていて、上部の透水性のある未固結の砂層と、下部のより固結した
泥岩層と砂層の互層の部分からできています。この地層は硬くて泥層は不透水性ですが挟まれる
砂層が地下水の通り道になっています。崖の下の地層は、不透水性の泥層になっています。
 
こんな地質の所で、小中川の河川争奪がおこり、下刻が進行してきたのですが、
物理的には軟らかい崖下の泥層部分を下刻して、物理的に硬い砂泥互層の部分で滝ができた後、
滝の上部が分裂して現在の上流の遷急点まで進んで行き、滝の下半部分は残って、現在の小中
大滝になったと思われます。
 河川争奪当初の滝の上部は、上流に動いていって消滅していて、下部だけが動けなくてグズグズ
残っていて、瀑布帯の本滝(小中大滝)になっているわけです。
 
 実際に川沿いに、峡谷の河床沿いに地層を見ていくと、滝の部分は、市野々砂泥互層の中下部の
泥層に一致しています。そして、その上の金剛地層の砂と、砂がちで泥層が薄い市野々砂泥互層上
部の部分は、さっさと削れてしまっていて、薄い泥層に対応する小さな上滝(30〜50cm)が2〜3個あ
るだけです。
 
 というわけで、市野々砂泥互層中下部が硬いので、滝になって、かつ、あんまり削れないで
残っている
といえます。
 以上、瀑布帯の形の変化からいうと、市野々砂泥互層中下部の泥層が、すごく硬い岩として振舞
っているわけですが、実は、たいして硬いわけではありません。この程度のヘコヘコ岩など、
普通の川では侵食されてしまっているはずなんです。
 この、実力不相応の、こわもての理由としては、この川が普通の川でなく、出来たばかりの川で、
削るための時間的余裕がまだないから
と解釈されます。
 すなわち、この峡谷が出来てから、時間がたっていない・・・この川の峡谷部分は河川争奪に
よって出来たので、争奪現象が起きて峡谷が出来てから、5000年ぐらいしかたってないんです。
 それで、小中大滝を侵食して、分裂・消滅させるだけの時間がまだとれないらしい。
 
ちなみに、滝の上流の、下総台地上の河川の谷は、12〜3万年たっていますし、小中川水系のある九十九里平野側の川は、
やはり、1万か2万前から形成が始まっているんで、全然経過時間が違います。

 
この峡谷は出来たてのほやほや。そんなわけで、時間がたてば消えてしまうような、岩石の
硬さに対応した滝が、まだ残っている
というわけです。うーん。滝の理屈って、結構面倒ですね。

 以下は地域の子供たちとこの滝の交流です。


その4。小中大滝体験談 その1 ほんとにあった落ちた話 

ほんとにあった、小中大滝で落ちた話 
誰もが怖いナーと思うところは、意外と落ちる人はいないと思うのですが、
小中大滝で落ちた人がいます。さる母親から私が聞いた実話です。

 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
 その方の中学生の息子さんが、幻の滝があるというので、友達と探検にいった
そうです。
 親には黙って。
 昭和の森公園から川に降りて、下って行ったら、滝の上にでた。
 そこまでは、まあ楽だった。
 そこで、のぞいてみたら、崖の下には人の降りた跡もあり、下にはハシゴもあっ
たので、そこから降りることにした。

 勇気だけを友とする、装備ナシの状態、平たく言うと無謀そのものであったので、
勿論降りる途中で、あっさり落ちたそうです。
 落ちる時には、一生のことが浮かぶといいますが、
そのとき、
『もうだめ。お父さんお母さんごめんなさい、さようなら』と鮮明に思った
とのことです。
 あとは、気がついたら、崖の下におっこちて生きていたとのこと。死に物狂いで
崖をはい上がって、傷だらけ泥だらけで家に帰って来た所を見つけて、
親が捕まえて、散々怒ったとのことです。


 
怪我という怪我でなかったので、生きて帰れたのは幸でした。


その5。小中大滝体験談 その2 ゴントさんの、遭難寸前の冒険談 

2002/5/15 東京都のゴントさんが掲示板に寄せてくださった体験談です。


はじめまして。 知る人ぞ知る滝 その2 小中大滝
http://www.chiba-muse.or.jp/NATURAL/special/takimuse/mainfall/konakasiru.htm
読みました。堪能しました。

こんなに有名?になったのですね! 感動です、感涙です。

小生が小中渓谷探検? を試みたのは、74年ごろです。
地元の小学生でした。
昭和の森下に降りて、小中池の左水線から回り込みました。

総勢5人の我らが小学ガキ探検隊も、第一次調査探検では、「銀杏の木」で引き返し
ました。とても無理だと思ったのです。

しかし・・・学校終わった土曜日の午後も遅く・・二次アタック隊でツッコミました。
今回は引き返すつもりはありませんでした。
再び銀杏の木まで来たときは、陽が暮れかけていたのですが、銀杏の葉が薄暗闇の中、
黄金色に輝き、この世のものとは思えない感じがしました。
今でも夢に見ることがあります。

銀杏の木の先は、左右が垂直に近いドロ壁になり、動けなくなりました。
下に飛び降りて、泳いでいこう、と上級生の隊長は言ったのですが、
泳げない隊員もいたので、水線の上5mぐらいのドロのバンドを「カニの横這い」で突破
していきました。足幅しかないし、すぐに崩れてしまうバンドでしたが、小学生だったか
ら持ちこたえたのでしょう。何度も落ちそうになりましたが・・。
途中でバンドがズレテいて、そこに飛び降りて移るのが最高に怖かった。
暗くなるなか、低学年の隊員は泣き出してしまい、ドロ壁から染み出す水で全身ドロドロ
になりながら、夕闇のなか、必死の脱出行となったのでした。
もう上に出てもよさそうなのに、と思ったときでした、暗闇のなかに、いきなり、ゴーゴーと
音がして・・・
滝が・・・暗闇にすさまじい音だけがコダマしてました。
滝があるという話は聞いてました、でも、こんなデカイのがあるとは。。。
絶対絶命! 大ピンチです!
みんな完全にビビッテいました。
でも、助かるには登るしかない。気合い入れて「高巻き」しました。
そしたら、すぐに田圃でした。。全員、へなへなと崩れました。
今でも思い出しますが、恐ろしくもすばらしい?体験でした。


その後、小中池の水を抜いたときに渓谷の手前でたき火でご飯炊いたりして、
おにぎりを食べた後に渓谷を遡行しました、それから、80年?に、
今度は小中池の右から滝に行った覚えがあります。
右のときは単独で、水線からも行けず、猛烈なヤブ漕ぎのトラバースでした。
滝は右から直登しました。

思い出がわっと出てきて、長くなりました、私事ですいません。  それでは。
                                                ゴント拝


Re: 小中大滝 吉村光敏 2002/5/15<水> 15:19:12

ゴント様 あいやー。凄いですね。
私は、東京都会育ちなもんで、こんな素晴らしい、宝石のような体験をしたことがありません。長い防空壕に潜って怖かったぐらいです。実にうらやましい。  だけど良く無事で・・・。


所在地:大網白里町小中 小中池の上流  緯度経度 E140°17′03″N35°30′31″
落差 7m 
水系:南白亀川水系の支流小中川
成因:河川争奪による滝

地質:下総層群金剛地層の西野々砂泥互層 緩い逆層
本滝滝面:線滝直線溝、直下型。

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