●場所の様子
所在: 大網白里町南玉 南玉不動堂境内
水系: 南白亀川の支流水源、東金崖線の湧水を引いた滝。
高さ: 6m。落ち口は龍の口から落ちている。
滝名の由来:山武郡郷土誌によると、『南玉の瀧 南玉の瀧は山邊村南玉清岸寺の境内、絶壁の間に懸り、高さ一丈八尺、とうとうたる音響常に絶ゆる事なし。前面に一小池を控え、眺望佳なるを以て、杖を曳くもの多く殊に夏時暑を緑陰の下に避けて一日の清遊を試みるに宣し。』とある。文中では、「南玉の滝」だが、通称「不動の滝」ともいわれているので、ここでは、「南玉不動滝」としておく。
その1。水源はどこだ?
人工に堀込んで、崖の上に、導水管がでていて先端に竜頭がついています。竜の口からでる水量はかなり豊富。
滝下は、堀込まれ、滝に打たれることが出きるようになっています。
崖の地層は上総層群笠森層・・べたっつとした泥〜シルト層。
管の直上は、お寺の境内地の人工的な切り土面ですので、水は別の所で湧いている水を導水しています。
縁起によると、弘仁三年(西暦812年)岩窟の中から湧きだし始めた水ということです。たしか、関東地方で大地震があった年ですから、それに関係するかもしれませんが、
滝から、導水路を伝ってその水の湧水点を見ようとしたんだけど、分かりませんでした。
地元の人に聞いても分かりませんでした。・・・どなたか場所を教えてください。
滝のある南北方向の急崖は、東金崖線という、下総台地とその下の上総丘陵を境する崖線で、そこから湧き水がでているんですが、その成因から考えて、この湧き水も、笠森層(シルト層)とその上の下総層群金剛地層の市野々砂泥互層との間から湧いているのではと予想しています。
その2。 こうゆう人工の滝でも、滝として大事です。
初めてみた方は、いわゆる川にある滝とは違うし、これは滝なの?と思うかも。
下総地方の滝は皆こうでしたね。下総の滝で解説してありますが、湧水点が滝の所なら、湧水型の滝(人工的に堀込まれているのが普通ですけど)、 湧水点から導水していれば、人工の滝とわけます。
この種の泉が滝になっている滝は、地下水が崖の途中から湧いている場合にできます。岩が固ければ泉の下の崖が保存されて自然状態でも滝になります。富士山麓の白糸の滝など代表例で、火山岩の地域には結構たくさんありますので、「湧水型の滝」とよんで滝の仲間に入れています。
しかし、千葉県では、湧水の下の地層が硬くないので、すぐ削られて壊れてしまいますので、人工的に手を加えて、滝に仕立てない限り、滝とはなりません。
江戸時代以降、各所で、滝が信仰対象として、あるいは、病院として、作られ保存されてきました。それで、本来は泉で今の言葉で言えば滝じゃないものが、滝としてたくさん残っています。歴史的な人工の滝ですね。
江戸時代には、滝と云えばむしろこのような人里近い人工の滝が主だったといってもいいでしょう。
このHPは、自然の滝を対象にしようとしているので、人工の滝は原則として対象としないんだけど、こうゆう歴史的な滝は、滝の仲間に入れないと、心が狭くなって、滝の保護とか保全という話ができなくなってくるので、滝の仲間に入れています。
その3 そういえば、こうゆう滝はよくあるぞ
湧水型の滝は、実は一番身近な滝でもあります。関東平野には、下総台地や武蔵野台地のように、未固結の地層でできた台地が広く分布していますが、そういう所では、川には滝がないので、滝はほとんど湧水型の滝に限られます。
下総地方やあるいは東京区部にも江戸時代以来の「□□滝」というのが多く残っていますが、みな、湧水型の滝です。勿論、自然のままにしておくと削れて滝でなくなってしまうので、人工を加えて保護して滝にしていました。
滝は自然にできたものだけでなくて、滝には人間が作ったもの、人間が保存保護してきたものがあるんです。
そうゆう滝は、人間が手を入れていないと荒廃してしまいます。
南玉の滝は、大網白里町の指定文化財になっていて、よく保護されている幸せな数少ない滝の一つです。
その4 なぜ滝を作ったのか
。これは、不動堂の境内の滝の由来に『・・日泰聖人の誦経の功力に依って霊験あらかたに尚此瀧に依って病の治たる者、祈願によって開運出世したる者多く・・』とあるように、明治時代初期ごろまで滝の水行が、病気の治療として普通に用いられていたのです。滝は病院と同じ施設だったわけですね。
南玉の滝でも、滝のわきには不動像がおかれ、滝下は水行ができるようになっています。
滝の昔持っていた機能は、今はありません。しかし、私たちの身の回りの環境を考えるとき、水の水源として泉を守り伝えていくことはまずしなければならないことですよね。
湧水型の滝は、泉のシンボルとして是非大事にしていきたい、地域の自然のへそというわけです。
|