下総地方007●海上町見広 鶴巻滝 1994年探訪 |
---見どころ 目次--- その1。現在枯渇。 ↓この下 その2。地下水を導水した人工の滝だった その3。滝の石塔・・滝の製作年代 データ。おきまりのデータ |
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場所は地図参照。 ●その1。現在枯渇。 見に行くほどのものでない・・。なにしろ、水が枯れてて |
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<1979年のメモから> 縣誌、郡誌には、かっこよい滝として紹介してあります。曰く・・・ 稿本千葉縣誌 『海上郡鶴巻村大字見廣に在り、懸崖の滴泉集まりて瀑布を為す、高さ三丈一尺、濶さ四寸、流末は本村の水田に灌ぐ。』 海上郡誌 『鶴巻村字見廣の坂に在り、水量大からざるも高さ三丈。郡内第一の高さなり、夏季浴する者あり。』 名前は、滝のある所の小字や大字名でなく、旧村名がもとになっているようです。 鶴巻村があったころのことで、滝っていえばあれだということになっていたから、鶴巻滝になった様ですね。村一番の滝というわけ。 9mで、10pぐらいの細い滝だが、滝に入る人もある というのですから、良さそうな滝です。 というわけなので、探しに行きました。 ↓ 簡単にみつかりました。場所は地図参照。 しかし、滝に水が落ちてないです。(*_*) 以前、水の落ちていた滝の跡があって、滝下に不動明王像が立っていました 水が無いわけではなく、近くで湧き水がごんごん湧いて、水道用に引水されているようでした。 ・・・以上、1979年のメモから。 <1994年に再訪> 滝の作り方や、滝の石塔などの故事来歴を見てみようと、1993・4年に再訪。 傍らの「双体道祖神塔」が町の指定文化財になっていましたが、滝の周辺は、特に変わりなく、水が落ちないので、滝も右の図のように、草に覆われはじめていました。 今は、町指定双体道祖神の石塔のある所という方が通りがいいでしょう。 |
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●その2。地下水を導水した人工の滝だった(過去形)。 |
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稿本千葉縣誌には、『・・・・・懸崖の滴泉集まりて瀑布を為す・・・・』となっていて、斜面から自然の水が集まって、滝になっているみたいに書いてあります。 そんなことはないだろうと思いながら、滝上に登ってみましたが、一目で違うことがわかりました。 滝は段丘崖斜面にあり、滝上には比高10m以上の段丘崖上部の斜面で、樹林になっていますが、滝上には谷の地形はなく、平滑な斜面になっています。つまり、斜面の水が集まる地形でもなく、勿論、滝の上で湧き水も全くありません。 なお、滝の平面位置は、下総台地に入り込んだ入江状の地形の奥に当たっていますが、岩井不動の谷のような海食崖を削った侵食谷なのか、もともと入り組んだ海食崖の入江跡なのかどちらかわかりません。 滝の落ち口は、台地を作っている上総層群飯岡層(無層理の厚い青灰色のシルト層で不透水性)と下総層群香取層(未固結の薄い泥層を挟む砂層、砂礫層、透水層になっている)の境界の所なのですが、50mほど離れた所で豊富な湧き水が、その地層の境から湧いています。 そこから、香取層の上面沿いに導水溝を掘って(大分埋まっていましたが、跡は良く残っていました)滝の所まで持って来て滝にしたものです。 飯岡層は結構固結しているので、水を流しているだけなら、あんまり削れたりしないので、滝面は地層のままで、石垣などはありません 水は自然の湧き水ですけど、人工的に導水して、滝でもない所から落として作った滝ですから、人工の滝ということになる。 |
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●その3。滝の石塔・・滝の製作年代。 |
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滝の築造年代ですが、滝の下に立っている、不動明王像が、滝の水神像として作られていたと思われる不動明王像が、安政2年(1855年)の銘文がありますので それと同時か前になるわけですが、他の例から見ても、江戸時代後期に作られたとみてよいのでないかなあ と思います。 かたわらに、双体道祖神 といわれる石塔や破損した石塔があるけど、年号銘がなく、年代は分かりません。 <滝の傍にある変った石塔> 表面が剥落して、銘文も見えないので、確かなことは言えないんだが、形や双体道祖神塔の千葉県内での分布状態から見て、双体道祖神塔ではなく、 二体の象頭の神が向き合う聖天像であろうと言われています。 |
高さ:8m。 成因:人工の滝 湧水を利用して、泉から導水して崖を掘り込み滝を作成。 現在は水なし。 地層:上総層群飯岡層? 位置:経度35゜44’10” 緯度140゜42’3” 海上町見広 地図参照。 |