市原市大久保 牛堀滝  記録カード   滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる
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●遷急点名 牛堀滝   ●水系名 養老川水系梅ヶ瀬川 ●立地沢名 不明

●概要
 牛堀滝(うしぼりたき)・別名うわばみ・おろち滝。
 大体の場所はここ →(5万)

 養老川支流梅ヶ瀬川の支流にある滝。
 落差8.5m、幅3m。流域面積が0.39ku。

 滝の地層は、上総層群梅ヶ瀬層の砂泥互層。滝面だけ岩肌が黒いが、藍藻類の付着によるものと思われる。やや水量に乏しいが、藍藻類がついて黒くなった滝面を垂直に落ち、なかなか見栄がよい滝である。

 梅ヶ瀬渓谷へのハイキングコースの途中にあり、梅ヶ瀬川沿いの林道から分かれ、5分もかからないので、所在地が分かれば簡単に行ける。
 観光コースのすぐ近くにあるが、案内等はなく、もっと紹介されてもいい。

 ただし、個人所有の道なので、途中に柵があり、開いてないと入れない。・・・開いていることが多いが。(^_^;)

 川替え(河道変更工事)による人工滝で、滝名は脇にあった本来の滝(消滅)が、移動したものと思われる。
 自然の滝ではないが、川替えの跡、共々見れば興味深い地形である。

 この滝には、別名の示すように、下流から上ってきた大蛇が、滝を上れなかったという伝説があり、滝と大蛇(水神)との信仰を物語る。


●所在地:市原市大久保所在。
 注) 所在地。 滝に行くのに、朝生原区から行くので、朝生原区の滝と思われているが、地図によれば、所在地区は市原市大久保である。滝付近が、区境で、滝の下流は大久保区、滝の上流は折津区になる。
●難易度、2 整備された道があり滝下までいける。
●2.5万地形図名 大多喜
●緯度経度〔世界座標〕 北緯35度15分27.1秒,東経140度08分50.4秒
落差 8.5m 
流域面積 0.36k
u
岩質・構造 砂がち砂泥互層 滝の頂層は泥層 極緩い逆層、滝面は走向に平行で地層は水平に見える。
地層 上総層群梅ケ瀬層
成因 川替えによる人工滝
変遷 川替え後、侵食していない。侵食後退量 0m
滝面 8.5×3.0m 織瀑 2段(0.5+8.0m)の階瀑
年代・同期:年代不明 (明治以降)
概略位置(1万)

緑と黄緑色は、養老川本流と梅ヶ瀬川の川廻しフルカワ。
 注)
 「川廻しフルカワ」については、当HPの『川廻し』とは・・・短い説明と長い説明』を参照してください。

京葉測量千葉県1万分の1地形図108中野より作図。 滝おやじ作



●行く道ルート

滝への行き道は、文献紹介の、う沢氏の文章参照。
 トンネルを出た先の女ヶ倉林道と梅ヶ瀬川沿いのハイキング道との分かれ道。右手の私道を行く。
 トンネル手前に柵がある。空いていれば入れる。
  現地には、看板・案内板等一切なし。
   
●発見史・文書 
 滝の初出: この滝は、滝人間木平 勉さんが紹介され、所在を教えてもらった。
 それで、拙HPで、滝の新情報030130 で、木平さんの情報を紹介したのが最初である。
 その後、う沢さんが紹介し、う沢喜久雄・鵜沢幸子(2009)「ちばの滝めぐり」 にも採録されている。

 1.滝の新情報 030130
 市原市 梅ヶ瀬川の滝群 新情報 → http://chibataki.poo.gs/sinzyoho/umegasegawa/umegasegawa01.htm 

私のコメントで、後で調査で違っていたこと(滝の成因推測など)もありました。

 2.う沢喜久雄・鵜沢幸子(2009)『ちば滝めぐり』 崙書房 p182-183

 ---------------滝の記述部分を引用---------
『市原市朝生原 牛堀の滝 おろち(大蛇)ものぼれない滝
 ・・・・・・
 大福山の朝生原コースを歩く時に、ちょっと寄り路して、のぞいてほしい滝があるので、紹介しよう。養老渓谷駅から黒川沼を通り、女ヶ倉(めがくら)のトンネルを抜けたところが、ハイキングコースの分岐点となっている。左の川沿いのコースは梅ヶ瀬渓谷から日高邸を経て大福山へ。まっすぐ進む道は、女ヶ倉の集落をぬけて上古屋敷へぬける女ヶ倉林道コース。このコースは少し歩くと、牧場から棒杭(ぼんぎ)へ続く山並みが広がり、その先に笠森から野見金山が望められる眺望コースだ。さて紹介の滝は、この分岐点からすぐそばにある。分岐点からもっとも右よりの砂利敷きの山路へ入る。道の右側の崖の落石に注意をはらい、左側の小沢ぞいに五〇メートル程入ると、素掘りのトンネルがある。このトンネルの入口には鉄製の門があって、私有地につき立入禁止″のカンパンが立っている。門が閉まっている時は、あきらめて帰る以外にない。開いていれば、水のしたたるトンネルを通り抜けさせてもらう。トンネルを出た先の左側の谷に二〇メートルを超す垂直の滝が現れる。これが牛堀(うしぼり)の滝、別名おろちの滝だ。
 戦前の養老川では、支流の浦白川(梅ヶ瀬川)にもウナギなどがたくさん棲息していた。ひと雨降ると林道にも水が流れ、川からウナギやドジョウなどがあがって来たという。そんな時でも、この滝だけは、のぼりきれなかった、まさに魚留の滝″だったのだ。その滝はおろち(大蛇)ものぼれない程だったといい、所存者の田川祥さんはおろちの滝”と呼んでいる。・・・・・』
-----------------------------引用終わり---------------------------
滝へのコースや伝説に、注目されたい。ただ、滝の高さは、過大である。

その他、拙HPで、『年賀状の滝』としても紹介した。→  2006年年賀状   
 情報を頂いて、その後、私も現地を見に行き、滝の成因調査をした結果、人の手の加わった滝であることが分かった。その調査結果。


滝面・滝崖の観察・・・・滝の成因:川替えの滝 

滝面全景 牛堀滝の3面図  作 滝おやじ

  滝面は、砂泥互層からなり、下部がオーバーハングしている。
 8mとその上0.5mの2段の階瀑で、両方の段ともその頂上の地層は泥層になっている。

 滝面は未侵食。滝面の最上部で一部砂岩層部分がえぐれているだけ。滝面と滝崖との差異がなく、滝壺もない。

 この滝の成因は、滝と現在の河道だけみると、支流の遷急点が峡谷を作りながら後退してきて、河道が直角に曲がる所で止まっていて、支流型の滝のように見える。
 滝面の層理面が水平に見えて、滝面が地層の走向に平行になり、侵食の結果できた滝のように見せている。

 しかし、
1.滝が、峡谷の側壁に懸谷の滝のように掛かっていて、峡谷は、図のように、更に続いている。
2.その先端は道路の護岸で終わっている。
 道路の護岸が、峡谷側にずり落ちていて、背後の道路の下は、全部盛り土である。
 すなわち、道路が、崖に沿っているが、基盤を切り込んだものでなく、峡谷の先端の空間を埋めたものである。
3.滝面と滝崖の間に全く差がなく、滝面が全く侵食されていない。滝面がオーバーハングしている、滝壺が全然ない、滝面と滝崖の差がない・・・等、滝面が全く侵食されていない。
 
 以上のことから、元の滝は、峡谷の末端に当たる現在の道路の所にあり、現在の滝面は、河道が人工的に移動された結果できた人工の滝と考えられる。また、移動後、滝面の侵食がほとんど起こっていないので、時間が経っていない。

作 滝おやじ
 滝の上流の地形を踏まえて、鳥瞰図に滝の新旧の変化を示した。
 この変化を推測してみると・・・・

 牛堀滝の上流に、江戸時代から水田が開かれており、当然、道が必要であった。

 当初は、峡谷末端に8mの滝(旧牛堀滝)があり、従来はその滝の滝壺上空の崖をへづって滝上に出ていた小道があったのであろう。

 その後、その小道を拡張して道路が作ろうとした際に、地形の余地がなく、滝壺を埋め立てたてて道路を作るしかなかったため、川ごと滝を移動させたと思われる。

 この河川工事をどう呼ぶかであるが、私は、単なる河道変更なので、「川替え」と呼んで、上総地方に多い曲流短絡による川廻し工事と区別することにしている。

 それで、この滝の成因は、「川替え」による滝と呼ぶことになる。房総では、川廻しの滝も多いが、原理的には、川廻しより平凡などこにでもあり得る、川替えの滝や河道も多く観られる。

  川替え滝は結構あるのだが、川底を道路にするのは珍しく、類例の少ない人工滝である。
 
 時期は未調査でまだ分からないが、滝壺の埋め立てのような強引な工事が行われるようになった、明治・大正期以降のように思う。
川替え・川廻し地形
作 滝おやじ google mapを基に作図

牛堀滝の上流には、いくつかの小滝がある。
図の4m滝までを調査した。

いずれも、河道道変更工事に関連した人工の滝のようである。

 最初の、0.8+0.6mの滝は川替え、

その上流の1.0+0.5mの滝と4mの滝は、川廻し工事に関連した滝だと思う。

0.8+0.6mの滝 

1.0+0.5mの滝 4mの滝
大蛇と滝にまつわる伝承

 文献記述に採録した、木平氏と、う沢氏の採録伝承は興味深い。
 いずれも、下流からきた大蛇が上れなかったというモチーフで、「魚留め」「お止め」「竜返し」など、下流から来て最小の垂直の滝にまつわる伝承と思われる。
● 踏査・撮影   2003/05/03 05/17
● 当記録作成  2010/09/07

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