鋸南町奥山 越ノ下の滝(こしのしたのたき) 記録カード     滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる
 ● 滝一覧リスト とのリンク
●遷急点名 越ノ下の滝川廻し   ●水系名 佐久間川水系  ●立地沢名 大崩川?(というのかなあ)
滝全景 滝上の幹下の護岸のように見えるのは自然の泥岩。
滝上に低い堰堤があり、水は溝状副滝に落ちている。
左岸の丸石は川廻しの石垣護岸。滝面のロープは筆者が降りる際に使用
概要
 佐久間ダム湖と、宮田の滝間の遊歩道沿いにある、高さ3.5m(目測)ほどの小さな滝。
 宮田の滝と同様、江戸時代に行われたと思われる川廻しによる人工滝である。

 1986年の佐久間ダム完成後、ダム湖に流入する大崩川(実は川名は不確か)沿いに、上流の「ほたるの里」までの遊歩道が作られた。 越ノ下の滝は、宮田の滝とともに、その遊歩道沿いの滝で、佐久間ダム湖畔から遊歩道があり、簡単に見ることができる。

 ダム湖ができる以前より、滝人間たちには、「昭和20年代まで水車のあった滝」として存在は知られてはいたが、ダム湖完成後の遊歩道の開設に伴って、滝の本等にも紹介されて、一般にも知られるようになった。

 滝としては人工でもあり、特に見所もないが、川廻し地形や水車の設置場所として見ると、一見の価値がある。
 川廻し地形は安房地方では珍しく、越ノ下の滝は、宮田の滝とともに、川廻し地形の良い観察場所である。

滝の諸元
滝の名称 越ノ下の滝
所在地 鋸南町奥山(大崩)
水系  佐久間川
渓流名 大崩川(確認を要す)
地図  2.5万 金束
緯度経度(世界測地系)
 北緯 35度07分42.2秒 東経 139度54分24.2秒
流域面積 0.95平方ku
滝高 3.5m(目測)
地層 三浦層群奥山層
岩質・構造 泥岩 順層。 
成因 川廻しの滝
変遷 移動していない。
滝面 簾瀑 面滝緩傾斜壁状 全面滝壺 浅い副滝形成
年代・同期 不明:おそらく江戸時代
●所在地形図(2.5万)
国土地理院2.5万地形図「金束」より作図
●概略の位置(5万)は→こちら

●滝への詳細ルート図は→こちら   



 なお、2.5万地形図(右図)にある、仏沢の滝から車道に至る道は、大部分廃道化しているので注意されたい。稜線の人家も現在はない。

右図の黄緑の面は、川廻し水田。
●発見史・文書 
 この滝の紹介の最初は、管見では、君島安正氏による。氏は、佐久間ダムの着工前に、仏沢の滝を訪れて周辺を調査し、1977年刊行の千葉県山岳連盟編 『房総の山 第二版』 多田屋において、安房地方の滝・仏沢の滝の項で、この滝の存在を紹介している。しかし、佐久間ダム湖ができるまでは、滝人間の仲間内で知られているのみで、名前も不明であった。
 ダム湖完成後の遊歩道開設に伴って、う沢喜久雄・鵜沢幸子 滝の旅人「宮田の滝」:雑誌ぐるっと千葉(2006)2006年4月号で、所在が紹介され、『ちば滝めぐり』(2009)にも採録されている。
 その後、房日新聞(2009)ふるさとの滝めぐり 房州寂名瀑:観光コースになった滝 A乙井沢の滝 の記事により、滝名の紹介が行われた。
 なお、これらの紹介では、自然の滝とされてきたが、この報告に示すように、川廻しによる人工の滝である。
●滝・遷急区間の成因: 川廻しの滝である

 川廻し地形である理由・・・・・・川廻しの用語は→こちら
 この滝周辺の地形は、一見では、ナカジマがないので川廻し地形には見えず、段丘化した曲流跡地形で、かつ、滝は曲流が短絡した自然の滝であるように見える。
 しかし、滝下に降りてみると、自然の滝にしてはおかしな点が多いことに気付く。
 まず、滝面が掘れていない。さらに、滝の下流の曲流側河岸は連続した石積みの石垣で、その中身は軟弱な土質らしく、どうも段丘礫層ではないらしい・・・ちなみに河床は、大きな礫の礫床ですので、段丘礫層ならがっちりした砂礫層のはず。

露岩の上が平坦に削られていることに注目
 
 ・・・ということで、滝の上に廻ってみると、
 曲流跡の段丘面のように見えた地形は、段丘礫層でできた段丘面ではなく、盛り土と露岩で出来た平坦地であった。

 つまり、上図に示すように、曲流跡の段丘面のように見えた地形は、川廻しのフルカワ+ナカジマであった。
 ナカジマがなく見えたのは、削られてフルカワと同じ高さにされてしまっているためである。
 滝上の河道も人工の河道で、掘り割りの川廻しシンカワである。

 川廻し地形記載
 この川廻し地形の全体像は、下の図に示す。
 曲流した川を、掘り割りで短絡したΩ型川廻しで、Ω部のフルカワ長さが60m程度の極小型である。

By Y.M.

 上述したように、ナカジマ部分は削平されて、フルカワの盛り土面と同じ高さになって、消滅している。
 上流の谷底も、右岸側が曲流部のフルカワと同じ高さに盛り土されて、川幅がせばまっている・・・このタイプの川廻し地形を、カワカミ段丘といっている。 (注)用語解説は→こちら

 狭くなった川は、滝上の堰で川堰化され導水されて水車の動力になっていたらしい。
 水車は、滝壺の右岸側に設置されていたらしく、石垣がその部分凹んでいる。

 上総地方の川廻しでは、フルカワの水田は下流側に低くなる等、段差があるのが普通である。
 しかし、この小規模な川廻しでは、水田面積が減らないよう、段差を作らず平坦にしている。

 その結果、上流側では盛り土高さは1.5m+ぐらいだが、下流側では、盛り土の高さが約5m近くに高くなっている。
 
 安房地方では川廻しは少なく、数例しか見つかっていないが、その内では、保存も良く明瞭な例であり、上述のように変わったところもありで、川廻し地形としてはなかなkおもしろ例である。。
●滝・遷急区間の変遷、滝面の観察

 岩質は、順層の泥岩層(三浦層群奥山層)で、地層の層理面に対応した緩傾斜壁状の滝面が形成されている。
 浅い溝状副滝が形成されているが、形成後の滝面後退はまだない。
 滝下には、浅い全面滝壺が形成されている。

 滝上のコンクリート製の堰が破損しておらず、昭和20年代に放棄された堰も埋まっていないので、この川は河床に大きな角礫はあるが、河床礫の移動は起こっていない穏やかな川であると思われる。
 滝の様相も、それに矛盾せず、滝壺の形成を除いて、形成後の変化は微小といえる。
地層・岩質・構造  三浦層群奥山層 順層(未収集) 
歴史・利用

1.滝の名称
 滝上の稜線に以前有った民家が屋号「越」であった。その下にある滝という意味で、「越の下の滝」と呼ぶよし。房日新聞(2009)の記事による。・・・・このHPでは、「越ノ下の滝」に統一した。

2.川廻しの年代と川沿いの小平地の水田化
 明治17年のいわゆる迅速側図において、越ノ下の滝がある川廻しフルカワは、水田として記入されており、川廻しの時代は、それ以前と言うことになる。
 古文書調査や地元での聞き取りを行っていないので、それ以上のことは分からないが、川廻しの年代は、一般の事例から見て、江戸時代後期になりそう。

 迅速図の水田を彩色した図を見てみると、明治初期現在では想像もできない深い谷底の小平地が水田化され、ほとんど連続した水田地帯となっていたことに驚かされる。
明治初期には、川沿いに連続して水田があった
 図の赤丸は、左から、仏沢の滝、越ノ下の滝、宮田の滝

陸軍陸地測量部迅速側図2万「佐久間下村」明治17年 に彩色・記入

石垣・左の凹みが水車跡?
 
3.フルカワの護岸石組み
 上述したように、この川廻しは極小規模で、水田面積を確保するため、フルカワの高さを平坦としている。
 
 その結果、下流側の河岸は高さ5mの、軟弱な盛り土の崖となるため、河岸に急な石積みの石垣を作って、水田面積を確保している。

 滝下に降りて眺めると、「史跡」と言ってもいい迫力である。

 この辺の工夫は、上総地方の川廻しにはあまり見られないものである
 急傾斜な川で、小規模な川廻ししか行えなかった安房地方の川廻しならではの形であるかもしれない。

高い軟弱な盛り土の崖を石積みの石垣で押さえている。 ちょっと壯觀
4.説明板
 滝の看板なし。
● 踏査・撮影   2006/08/10  
● 当記録作成  2010/08/13

  滝記録カード目次に戻る   HPtopへもどる