●君津市奥米 開墾場の滝 記録カード     滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる
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●遷急点名 -(川廻し)   ●水系名 小糸川水系三間川 ●立地沢名 本流

 <立派な滝ですね>
水量がない夏なんかは見ると気の毒な感じですが、水量があるときは、川廻しの滝のうちでは最も見栄えのする滝でしょう。
 房総特有の川廻し滝ですし、規模もでかいから、房総を代表する滝の1つです

●所在地:君津市奥米

  奥米というのは、三島湖の奥、三間川流域の地区です。奥米の概略位置はここ。

  滝の場所の2.5万地図は、これ

●難易度、3 
滝の左岸岸壁に、仕事道のステップが切られているが、これは、登るとコワイデスヨ。落っこちても、登った人が悪いでしょうね。
  
●緯度経度〔日本座標〕
北緯35゜11′18″ 東経140゜02′29″

●落差 8m 

●流域面積  3.193k
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2001年撮影

 「川廻し地形とは」の説明は、⇒こちら
 <滝面の形>
●滝面 帯瀑。 壁状・急傾斜 全面滝壷
●地層・岩質・構造 三浦層群安野層 泥がち砂泥互層 緩い逆層。
●成因 川廻しの滝
●変遷 明治期以後に行われた、林業型の川廻しで、川廻し地形としては新しいものである。
 その結果、 滝面の掘り込みや、滝の頂部の堀り込みがほとんどなく、川廻しのトンネルも崩落が進んでいない。ただし、特筆すべきは、全面滝壷が作成されていることで、3mぐらいの深さがある立派な滝壷ができています。
 川廻しにより、あるいは、滝の形成により、滝面等の地形より、はるかに早く、滝壷が形成されることの好例といえるでしょう。
 <発見史>
この滝は、川廻しの滝で、かつ比較的新しく作られた滝だと思われます。したがって、本来の滝の名前もなく、小字名をとって開墾場の滝 ということになる。聞き取り:君島安正氏
この滝を最初に紹介されたのは、木更津在住の安田淳一氏(地元の郷土史家で、上総地方の滝を最初に紹介された方の一人です)。東京新聞昭和53年8月14日号に、奥米の滝として記事にされたのが最初です。
 ●滝の位置図模式図 
<ルート>
滝上の家の脇を曲流した段丘の部分を川まで降りて、少し川をさかのぼれば滝下に出られる。
滝の上には、道から踏み跡有。

 下流にある、F1〜F3は、図の上端にある川廻しの所まで、車で入れるのでそこから川に降りるか、奥米台のトンネル脇より斜面を降りる旧道坂道より川に降りて、開墾場滝下まで遡行する。
 この部分は、平坦な岩床の峡谷で、房総特有の峡谷地形をよく示している場所である。

なお、最新の2.5万国土地理院地形図坂畑に、開墾場の滝が注記されたが、場所が全然違っているので注意してください。
 右の図の開墾場の滝の「滝」の字の所にあるようになっています。
 川が直角に曲がる所に滝があるのか、まっすぐの所にあるのかぐらい、一目で分かることですが、超初歩的なミスです。
<開墾場滝の川廻し地形>

 この川廻しは、概念平面図のように、曲流部にトンネルをあけて、トンネル出口が滝になったものです。
 造成されたフルカワの長さは約700m。
 この地点が、川の上流で河床勾配が急だったので、700m分の高度差8mが、トンネル出口の落差になったわけ。
 
 フルカワの場所は、谷の下で日も射さなそうで水田にもなりそうもない土地ですが、造成目的が植林場所の確保だったということです。川廻しの内で、林業型川廻しになります。

 <川廻しを下流からみる>

●左上方に、木の枝越しに人工トンネル(川廻しのシンカワ)

●トンネル下が開墾場の滝
(川廻しトンネルの出口)

●滝下の人物のたっている川廻し以前の河床
(川廻しのフルカワ)。

●滝の下には全面滝壺
(川廻しの結果、作られたもの。深さが3m以上ある) 

  ↓
 上の写真の説明図
 <川廻しを上流からみる>

●上流側からみた、川廻しシンカワのトンネル

上流の河床とトンネルの底部との比高は1mぐらい。

トンネルの断面はほぼ円形で、作成後の天井の崩壊がほとんどないことがみえる。


  1979年撮影

 人間をスケール代わりにしてみると・・・
 トンネルの高さは8m以上ありそう。
 滝の高さよりトンネルの高さの方が大きいんだ。

  写真提供 野口和夫氏 010714撮影 

壁あんまり崩れてない。1979年撮影
●歴史・利用  植林のために作られた川廻しと聞いた。現在は、湿地化している。
●探訪日 1979のいつか  19810418 以来何度か   ●作成日 20030321

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