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8. 滝の変遷と年代 |
この部分については、現在、「工事中」ですので、詳しくは将来の続編にご期待ください。 というわけで、当たり障りのない話をしておきます。 |
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(1) 滝の年代を決める 現在の滝はいつごろできたのでしょうか。 滝の年代(最初に段ができた年代)は、まず、滝の成因が分らないとできません。 成因が分っても、滝のような侵食作用でできる地形は年代を測定できる資料を残しませんから、年代の分る地形(堆積作用でできた地層がある地形が多い)に関係づけて年代を推定します。 しかし、そんなに都合の良い地形がいつもあるわけではありません。 というわけで、年代の分る滝というのはあまり多くありません。 滝と関係付ける地形としては、@河岸段丘、A海食崖、B支流の遷急点などがあります。 @は、段丘堆積物の中に年代測定できる資料が埋もれていたり、年代の分る火山灰層との関係などから年代が分っている段丘が多いので一番確実です。 Aは、海食崖型の滝の場合、滝の形成年代=海食崖の時代=崖直下の海岸段丘面の陸化時代という仮定で求めます。 Bは、滝の下流の支流の遷急点を縦断面図上でつなげて、段丘面との関係を調べる方法です。推定部分が入りますから、確実度はやや落ちます。 図26 に、鴨川市泉川の滝と、河岸段丘の関係を示しました。
約2000年前ごろより、待崎川によって作られだしたごく新しい滝と考えらる。 泉川滝と、段丘面の関係を見ると、泉川滝上流の河床縦断と段丘面D とが対応することがわかります。 段丘面Dは、待崎面と呼ばれ、約2000年前頃に、大地震の隆起に対応して作られた海岸・河岸段丘面です。 滝の下200mの所に 未固結の冲積層と、一応固結した三浦層群の泥岩があります。 大地震の隆起により、待崎川が下刻し、当時の河床が陸化して待崎面ができましたが、同時に平野部の軟らかい砂や泥の地層(冲積層)の部分を下刻してきた川が、山にさしかかって、山をつくる硬い三浦層群の泥岩を掘りだして、滝を作ったものです。 このタイプの滝の発生型を平野型の滝よんでいます。発生後、200mほど滝が後退しています。 |
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(2) 滝の変遷 滝の年代からみると、現在の滝は形成がすごく新しいものが多いのですが、 発生地点からの後退量はかなりのものです。しかし、20年間滝を見ているのですが 現在の滝で動いている滝は無いと思っています。なんか矛盾してますね。 詳しくは、略しますが、房総の川廻しの滝などでは、300年間で350mぐらい後退している滝もありますが、大きく動いた滝でも、いつも動いているかというと、毎年350÷300=1。1mづつうごいているなら、現在でも10年たてば10mは動くわけですから、動きの観測ができるわけですが、最近50年間は全然動いていません。 少なくとも房総では、滝が動いていると観測・観察できた滝はなく、最近20年間動いていないと写真で証明できる滝のほうが多いですね。 どうも、滝の動きは一様ではないらしいということになるんですね。さらに、私は、今ある滝は大体が、動きがすごく遅くなっている時期のものではないかと思っています。 では、滝はどのように動くのでしょうか。滝が後退すること、遷急点がそれによって後退することは確かですが、では、それがどのように後退するのかは実はよく分かっていません。 しかし、少なくとも、滝が断面の上で常に相似形を保ったまま上流に移動するということはないとはいえます。 現在の単一の滝がそのまま平行移動して後退するより、上の部分が分裂して瀑布帯の形になり、分裂しながら移動するほうが、起こりえそうだし、確かのようです。 一方、単一型の滝もたくさんあり、その滝が最初に作られた位置から移動していることが確かでもあります。 つまり、滝は分裂したり、一緒になったりしながら移動しているのではなかろうか。滝は集合離散を繰り返しながら後退しているのではという考えがでてきます。 この後退速度の不連続性と、形態の集合離散性をふまえて、現在の滝の分布(このことについても工事中につき、続巻にて解説したいと思います)を考えると、「滝は早く動くときは分裂していて、遅くなると一緒に集まる」と考えられます。 房総の滝を例にして、滝がどのような地形の所にあるかから、河道の平面形と滝の位置を関係付けて作った、滝の後退のモデルを示しておきます。
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