館山市伊戸 御嶽神社の滝 記録カード     滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる
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●遷急点名 -  ●水系名 -   ●立地沢名 -

●滝の名前
 下の記事のように、本来とりたてて名前がない滝だったようです。不動様があるから、不動の滝だったんじゃないかと思うんですが・・・。
 記事には、「御嶽の滝」になっていますが、こうゆう無名の滝は、本来は無名の滝ですから無名の滝なんです。しかし、小字地名か近傍の寺社や橋の名前を付けて、□□の滝と呼んでも、まあ、地名破壊というわけでもないと勝手に考えてますので、「御嶽神社の滝」ということにします。

●所在地:館山市伊戸 御嶽神社脇 
   
 →伊戸地区ってこのへんデス

●難易度、2 
●緯度経度
   北緯34゜57′23″ 東経139゜47′11″
●落差 9m ・・箱尺で測定
●流域面積 0.20k
u
●高さも水量も結構あって、写真よりかなり立派な
 滝です。
← 1980/08/18 撮影。
  現在は、滝右上の木がなくなっている。
●概略位置図 ⇒所在地形図はこちら      
●最初に紹介した文書
 房日新聞 昭和54年9月23日号 名所旧跡 安房の滝めぐり  館山市伊戸に水量豊富御嶽の滝
  が最初だと思います。

----引用すると(写真は省略)---
御嶽の滝    館山市伊戸 館山市伊戸の御嶽(みたけ)神社々殿の左脇にある滝。
 館山市洲崎から白浜町方面に向う県道は、伊戸地区にある平砂浦ビーチホテルの前方で、砂山方面行きの県道・南安房公園線との二本に分かれる。
 この分岐点から小高い山並みを望むと、四月一日付けの「安房の滝めぐり」で紹介した伊戸の滝がある。
 伊戸の滝を横目に、南安房公園線を西小学校方向に数百b進むと道路右沿に高橋建設の作業場がある。
 丁度、このあたりから山の下方を見ると神社の鳥居が見える。神社への入口は道路沿にあつて、田圃の畦を五十bほど上つて行くと鳥居の所に出る。
 このあたりから後方を振りかえると、中秋の陽光にキラめく平砂浦の海と布良の岬が一望できる。
 鳥居をくぐつて、なだらかな石段を上ると御嶽神社の社殿が建つている。祭神は、地元民の話でスサノオノミコトということである。社殿の左側に回り、雑木の中をのぞくと御嶽の滝が水しぶきを上げて落ちている。 滝の下に行くには鳥居の少し手前から分かれている左手の道を進む。.小さな流れにそつて四・五十b行くと滝の下に出る。道は細いが踏跡がハツキリしている。高さは十bほどで、三+aほどの岩間からいきよいよく清流が落水している。滝の上部三分の一ほどの岩場には身丈二十五a位の不動明王が置いてある。
 地元民の話では、この滝にこれといつた呼称はないようだが、ここでは御嶽神社の近くにあるところから御嶽の滝と呼んでおく。滝下にはコンクリートで囲った小さな滝壷があり、滝の形状も小じんまりとはしているがなかなかすてがたいものがある。
----引用終わり----
先日、02/12/27行って見たら、20年前に行ったんで、滝の姿は覚えていたが、それ以外のことはきれいさっぱり忘れていて、御嶽神社が見つからず、何度もうろうろしてしまいました。
 そのうえ、道路地図の神社の位置が全然違っていて、滝上の堰まで行ってしまうおそまつ。
 しかたないので、房日新聞の上の記事の切抜きを取り出して、それで行ってみました。記事も20年前ですが、様子はそんなに変わってなくて、難なく行き着けました。
変わったところを列挙。
 高橋建設作業場:使わなくなって、久しいようでした。
 
社殿の左側に回り、雑木の中をのぞくと御嶽の滝が・・・:この雑木林は今ありません。滝の対岸に当たり、崩れたらしく、コンクリート護岸になり、護岸の上のフェンス越しに滝がもろ見えになりました。
あわせて、その付近にあった石仏も1ヶ所にまとめられていました。
 滝の滝面や滝下の様子は、変わっていませんでした。滝上にでていた木がなくなって明るくなってましたけど。

 御嶽神社 ・・・鳥居の年号を見忘れ。
 

 参道の石灯篭
 (火袋はない)

 銘文
 氏子中
 御宝塔
 
 天保九戊戌年
 (1838年)

 手前に手洗石
 があり、
  当所若者中
  世話人(4名)

 

社殿の左に、まとめられた石造物
右3つは、磨耗してよくわからん

正体不明の石仏。銘文なし。
明治頃のものみたいだけど何でしょうね? 
御嶽神社といえば、江戸時代後期に御嶽講の信仰施設として始まり、明治に廃仏毀釈で神道化したものと思うのが普通です。すると、修行として、滝で水行が行われていたのではと思うし、滝との関係を語るものはないかなと石造物を見たけど、直接関係を語るような石造物はありませんでした。
 そもそも、石灯籠の銘文で、天保年間に氏子とあるから、当時から神社化していたことになるし、当初の予想は、外れみたいですね。残念。というわけで、滝と神社の関係については何にも分からず。
●滝面 条瀑。 線滝 円弧状 直下型 滝壷あるが人工化くさい
●地層・岩質・構造 三浦層群天津層 泥岩層 逆層。
●成因 海食崖による滝  →所在図参照
●変遷 海食崖前面より、20mぐらい移動している。
      滝壷直下に0.2mぐらいのナメ、20mぐらい下流に下滝0.5mがある。

 神社境内より俯瞰。
 
 右下の白地は、フェンスの手すり。

 ・・・滝壷付近が、どうも水行のために人工加工されているように思うんだが。



  ↓
 1880年撮影と2002年撮影の滝面写真の比較。

 20年間毎日毎日、滝面を水流が叩いているの
ですが、全然変わってませんね。
 
 

 
  



左画像
 1880/08/18撮影


右画像
 2002/12/27撮影


比べてみてください。

 滝面に変化がほとんどありません。
継続的に地形が変化しているとして、滝がじわじわ後退してるとすると、
ざっと見積もって、5000年間に、20m=2000cm移動してきたから、
1980〜2002年で22年として、
 2000cm÷5000年×22年=8.8p の変化があるはずですね。

で、そのぐらいは削れるもんだとすると、22年前の滝面の細かい割れ目や凹凸は大分
変化してなきゃいけないけど、それらしきところは見えませんね。ほとんど変わってな
いと見受けられます。

 こんな、水しか流れてこないようなヘコイ川の滝で言っても仕方ないですが、房総の滝は、
この20年間滝面が大きく変化した滝はないと思います。・・・滝崖は逆に、大崩壊発生例が
たくさんありますけどね。 これはどうしたしたことなんだ? というのが私の考えのポイント
になっています。
つけたし
ボケボケです。
滝面に掘られた穴におられる不動様
●歴史・利用  滝に行く道に、用水路跡があり、以前は取水されていたようだが最近は使われていない。
●その他 
主な探訪日 800818 021227  
作成日 03/01/09

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