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●滝の名称:伊戸の滝 下の房日新聞の記事にあるように「お滝」と呼ばれていた。つまり、地元の人にとって、「滝」ってことですよね。 こうゆう、特別の名前のない滝については、一応、字名+「の滝」というのが、外部の人間にとって普通に使われる用法なので、「伊戸の滝」ということにします。 以前、不動滝と聞いたので、リストでは、この滝を、伊戸不動滝と書いていましたが、どうも不動滝というのはあんまり地元でもないわけではないが使わないみたいですので、止めにしました。 ●所在地:館山市伊戸 ●難易度、3 22年前は、畦道づたいに簡単にいけたらしい。 →今となっては、全く思い出せない。 ●緯度経度 北緯34゜57′22″ 東経139゜46′50″ ●落差 32m →どのようにして測定したのか全然覚えてない ●流域面積 0.17 ku |
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●概略位置図 ⇒所在地形図はこちら | ||
●最初に紹介した文書 房日新聞 昭和54年4月1日号 南房総の伝説と名所・旧跡 安房の滝めぐり 伊戸の滝 が最初だと思います。 ----引用すると(写真は省略)--- 伊戸の滝 館山市伊戸 館山市洲崎から白浜町に向かう県道(第一フラワーライン)は、伊戸地区で砂山方面行きの県道南安房公園線との二本に分かれる。丁度この分岐点から北方の丘陵的山並みを望むと岩肌をあらわにした滝が見える。これが地元民が”お滝”とよんでいる伊戸の滝である。 滝下にはそこから水田の畦を通っていくと容易にたどりつくが、水量は極めて少ない。 今から二十年ほど前に滝の上流に灌がい用の貯水池を造成したためで、大雨が降って貯水池の水があふれぬかぎり豊かな落下水は見ることができない。 高さは約三十bあり、滝下には岩盤がはうように広がり県道から遠望できる部分は全体の二分の一にすぎない。 お滝の名称はこの地にある字・小滝からきているものらしい。 ----引用終わり---- |
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<1980年の観察記録> ●下流の滝 滝の下流にも、3mほどの小滝があり、この滝は地震隆起による滝。:実は、この滝のことは全然覚えてないなあ。 ●滝の成因 この滝は、約5000年前の縄文海進の際に作られた海食崖にかかる小谷の懸谷である。=海食崖型の滝。 ●滝面の侵食 近景写真に見られるように、植生に覆われない岩盤露出表面の層状の剥離・崩壊が起こっていて、水流による線的な侵食微地形は認められない。 この滝は、水流侵食の結果としての滝面傾斜の減少(緩勾配化)がみられず、ほぼ同様の傾斜のまま後退を行っ たと考えられる。 ○ 小さな川では、川の働きは『岸壁に植生の進入を許さず岩盤を露岩のままにして機械的風化を継続させること、及び、岸壁の面的な崩落岩屑を運搬して崖錐の成長を許さないことの2点が主であり、岸壁の後退は流水の作用よりも機械的風化(おそらく岩石の乾湿変化による破壊)により生じた崩落による』とまとめることができる。 <2002年のコメント> ●再度、現地で見直してみないと、何とも言えませんが、後退量なんかを確認する必要がありますね。 あと、当時は、滝面の後退がかなり早いと考えていたのですが、どうもそうではないようなので、滝面の後退が 崩落によるのはいいとしても、その速度は小さいと云うべきでしょう。 |
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●滝面: 面滝、条瀑、壁状、急斜、滝壺? ●地層・岩質・構造: 三浦層群天津層 泥岩層 泥岩、逆層?。 ●成因 海食崖による滝 →所在図参照 ●変遷 滝の下流に3mぐらいの滝があるが、地震隆起による滝で、この滝とは関係ない滝である。 滝上に小さな滝があり、2連に分裂しているようである。 河川水量が少なく、滝の後退も少なく、10m以内の後退量しかない。 |
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●歴史・利用 滝の上流の堰は、国道からも見えます。 2002年12月に、ぽかんと口を開けて国道から眺めていたら、通りかかったおばさまに声をかけられて、話を聞いたところ、現在80歳だが、23歳の時に、嫁入りして、すぐに、堰を作るので作りに行ったということでした。 というと、2002−80+23=1944か45 ということですね。食糧増産運動の成果かな。 滝の脇に不動の石碑(水神としてまつったもの)がる、とのことだが、草茫々で発見できず。 常時水があったら、安房南部の海食崖型の滝のうちでもっとも雄大で姿もよいのにね。 写真は、1980/8 水があるときに撮影。滝の全体の2/3ぐらいしか見えませんが。 |
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●その他 22年前に行ったきりで、文字にしたこと以外は完全に忘れてしまっています。 探訪日 800624 800824。 021227通りかかり眺める。 作成日 |