●富浦町大房岬 大武崎滝 記録カード     滝記録カード目次に戻る  HPtopへもどる
 ● 縣誌に記載されている、由緒がある滝なので、水もないし、人工だけど滝の一覧に含めます。
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●遷急点名 -   ●水系名 -   ●立地沢名 -

●所在地:富浦町多田良 大房岬
●難易度、2
●緯度経度  北緯35゜02′02″ 東経139゜49′01″
●落差 5m・・・箱尺 
 
●流域面積 □□k
u  湧水なので調べる必要なし。
 現状では、ほとんど水が落ちてませんね。
●概略位置図 ⇒大房岬は公園化され、行けば看板があるので所在図は省略。
            ホテルの南芝生広場にいけばよい。
     
●文書 稿本千葉縣誌に記載されていますが、江戸期の地誌にも大房岬の項にでてきます。
 縣誌には、「大武崎瀧 一名清淨瀧と稱す、富浦村大字多々良大武崎の西端にあり、高さ一丈八尺あれども濶さは六七寸に過ぎず、山中の渓流此處に至りて飛下し小流を成して海にそそぐ、傍に瀧淵神社、其の西に淺間神社あり。」とあります。

ささやかな滝ですが、県誌に採録されたのも、当時、滝の信仰霊場であったからでしょう。滝に打たれる水行が行われていたと思われます。
こののち、太平洋戦争中は、大房岬は東京湾口を守る要塞になっていたので、滝のそばにあったという神社も何もかも、取り払われていて、荒廃していたようです。
そのころのようすを、君島氏が、「房総の山」の安房地方の滝 でかかれています。

最近、岬は公園化され、少年自然の家やホテルが立っています。その関連で、滝の再整備も行われたようです。
●滝面 現在の滝面は、もともとの滝面のようですが、江戸時代以来人工の手が加えられていると考えられ、それが荒廃して、再度整備というふうで、昔の姿もわからないし、本来の形は分かりません。
●地層・岩質・構造 三浦層群鏡ヶ浦層 砂勝ちの砂泥互層 逆層。
●成因 海食崖の滝。
●変遷 滝の上は、竜頭が据えられていますが、現在は、導水管で上の谷の湧水を導水しています。滝の上流の谷?は公園遊歩道で埋められてしまっているのかなあ?。谷がありません。(^_^;)
江戸時代頃の地形がどうだったのかは、今、現地で見てもよくわかんないです。
公園造成前の地形図なんかを見せてもらえばなんとかなるでしょうけど。そこまでやる気もないなあ。
龍頭 何年だか看板に説明があったんですが、デジカメが壊れていて写りませんでした。

滝上を一部細工して口から流そうとしたみたいですが、うまく行ってないみたいですね。

上から見た、龍頭。

現在は、頭のすぐ後ろに導水管がきていて、
水升がある。


 ↓
 滝崖というか本来の海食崖というかの崩壊の様子。と転落してきた岩塊。
地層は逆層で、層理面と直交する向きで、崖面に沿って剥離している。 
 滝面?の部分、ここにも滝面に沿って、剥離がおきつつある。
 
 常時濡れている部分と、他の乾燥することも多い滝崖との不連続のせいか?
 滝上は、緩やかな斜面の浅い谷になっており、谷頭に湧水池がある。看板によれば、基盤が向斜構造なので、水が出るとのこと。
 たしかに、この程度の流域の谷では、地表水だけでは水がないですから、地下水の湧水ないと滝というだけの水は出ないでしょうね。
●歴史・利用  写真のような遺物があるが、他に、神社の参道の階段が、現在水路になっている。
滝上に、境内地らしき平地が見られます。
滝の左方の海食崖に掘られたやぐら風の穴

清淵神社の施設か。

穴の前に六十六部の廻国塔が1基。
廻国塔の銘文。破損が激しいが、
明和年間(1764-1771)、江戸の人が絡んでということは分かる。

↓穴の内部。下部は土砂で埋まっている。
岬の頂上(隆起した更新世の海岸段丘面)近くにある、地下に掘られた要塞の施設。
●その他 
 この日は、天気晴朗。大島がよく見えた。


  021227 探訪  03/01/08 作成

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