家族連れで見に行ける滝

高滝(粟又滝)、滝沢の滝、かっか滝

大多喜町の養老渓谷に行けば分かるから所在地図は省略

写真:上から
高滝、滝沢のたき、かっか滝

滝の名称
高滝が本来の名前。粟又の滝は、地名を取って名づけたもの。
観光名では粟又滝が定着。養老の滝ともいわれる。
滝沢の滝は観光名では万代の滝となっている。滝沢という支流の名前はあったが滝の名前はなかった滝である。滝沢の滝と言っていた滝。
かっか滝は、近年、命の滝という観光名がついているが、地元の呼び名ではかっか滝。所在大字名をとって小沢又の滝ともいう

これら、奥養老渓谷の滝は、本来の名前が観光用の名前に置き換えられつつある。

所在
:大多喜町粟又、小沢又 
水系:養老川本流
粟又滝より下流で合流する支流滝沢の滝、および大字小沢又にて合流する支流にかっか滝がある。




高さ:
高滝は、高さ30m、滝沢の滝は、高さ12m かっか滝7m
滝の成因:粟又滝は本流型の滝。滝沢の滝・かっか滝は懸谷型の滝、支流型の滝。
地層:高滝は上総層群黄和田層 泥岩層 順層
滝の由来:稿本千葉県誌には、高滝について『高滝 大字粟又に在り、養老川の流此處に至りて一大瀑布となる、高さ約三十丈、濶さ十丈とす。瀑上一巖あり水中に峙立す、高さ二丈、周圍六丈餘にして岩雄の峰と稱す、水之を圍みて下る、瀑下潭深きこと數尋、雨岸壁立して老樹陰欝たり、増水のときは霧を飛ばし雲を生じて其の響轟々數里の外に聞え、眞に壯觀を極む、實に本州第一の瀑布たり。古來本郡及び市原郡に於ける養老川上流の村落二十餘村を總稱して高瀧と云へるは此の瀑布あるに由る。』とあります。滝上には高滝神社があります。また、中世には高滝郷という地名があり、文書にでてきます。

行き方:有名な観光地ですから省略。粟又滝の下流からかっか滝まで川沿いに遊歩道があります。千葉県では数少ない観光化された滝なので、いいかげんな足ごしらえでも歩けます。ただ、雨の降った翌日行かないと水量がものたりない。遊歩道沿いには他にも滝が落ちているが人工の滝が結構あるのでだまされないように。

滝を観る
その1。粟又滝
 泥岩層の順層の滝です。房総では珍しい緩やかなナメ状の滝面をしています。どうしてだろうか、気になりますよね。地層との対応がその理由ですが、硬い緩やかな地層があるので緩やかな滝ができたというより、弱くて崩れやすい地層を掘り出したら、緩やかな滝になってしまったという方が正しいようです
 滝の崖に地層が見えるので、滝の形と地層とが対応していることを見てください。地層は比較的硬い泥岩層です。そして、滝の下の滝壷の岸に白色の火山灰層がでていますが、その火山灰層が弱い地層で、以前その所でばさっとその上の地層がはげて現在の緩やかな滝面の形ができたと思われます。 滝が削れていると思えば、そんなに不思議でないですね。
その2。粟又滝の下の滝壷の形、上からみると2つの穴がつながったひょうたん型をしています。滝が動いて滝壷が2つできたわけ。
その3。滝沢の滝では、本流から滝沢の滝が後退していったと考えると、何mぐらいさがったか見えますのでみてください。また、滝の滝面は以前の滝壷のまるい跡が残っていて、滝の表面が削られて後退していったことがわかります。
その4 かっか滝は、滝沢の滝よりもっと削れて後退しているので、本流からは見えません。本流からかっかッ滝まで、滝が下がった跡だと思って歩いてみてください。滝って結構動くもんだというのが実感できると思います。ちなみに、3つの滝とも、できはじめてから2〜3000年しかたっていません。

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