●多古町 小井戸の滝 探訪 ●所在地図は別画面 |
2000/9/21 踏査 滝おやじ 多古町染井の小井戸の滝、どこにあるのか分からなかったのですが、多古町の文化財めぐりの本に写真付きで紹介されているので、訪ねて見ました。 勿論、滝といっても、谷津の斜面の湧き水地点を、掘り込み、湧き出し口を加工して、龍頭の口から水がでるようにしたもので、人工のものです。 江戸時代には、今の感覚では泉でも、水が落ちていれば「滝」といって、滝に打たれる水行や御手洗の水に利用していたわけ。 下総地方の各地にありましたが、水が涸れたり、荒廃してしまったものが多く、良く残っている方と思います。 |
小井戸の滝 斜面を掘り込んだ奥壁に石材を置き石の龍頭の口から水がでるようにしてある。 |
<泉として> 看板の説明:「古来旱にも涸れることなく、かってこの清水を飲み、この水で炊く飯を戴くと、母乳が豊富に出ると言われておりました。平成五年一月 染井寿ボランティアクラブ」 水量:私の訪ねたときで、水量1分間で、2リットルぐらいでした。 滝の高さ:龍の口から落下する高さが1.6mだから、滝の高さは1.6m。 立地:下総台地を解析する小谷の斜面、台地表面から比高15mぐらいの斜面基部を、高さ3.2m、奥行き1.8m程掘り込んでいます。掘り込みの床は、谷底の平坦面(畑地)と同高度。 地層は、下総層群木下層の埋没谷の所にあたり、木下層と思われる(台地の北の谷に大露頭があり、)。埋没谷の地層だが、谷が広かったので泥でなく、厚い砂質の地層であるよし(地質の人に聞き取り)。 たまたま、湧水位置に、ごく薄い泥質層があるらしく、そこから湧出する水が集中した地点のようでした。台地を作る地層全体がすごく透水性のよい砂層のようですので、湧水の起源は、地層中から湧いていますが、斜面の地表地下水が下の砂層に浸透して局部的な難透水層の存在により湧いている水のように思いました(地層中の不透水層上を流れてきた水のようには見えませんが)。 |
参道入口にあるいわれ 湧水は掘り込んだ崖面(高さ3.2m)の高さ1.6m付近から出ている。地層断面は、上から 1.0m、斜面堆積物。 0.5m砂層。 0.3m砂層。湧水層。3層のやや泥質の薄層があり、湧水のある砂層。 1.4mの砂層。の順。 |
<石造物情報> 龍頭:弘化2年(1845)建立、明治25年再建、昭和30年改修 『護符水』と彫られた霊物標石、と、年号のない手水石がある。 |
龍頭は石造で、よくみるとなかなか立派なもの。 <龍頭の上のはめ込み石銘文> 奉 御寶前 弘化二乙巳年二月吉日建立之 □□□□、□□□□(建立者銘だが、手が届かない)。 <龍頭の台石銘文> 明治廿五年六月 多古町石工川口七左衛門鎬 昭和三十年四月。改修寄贈、所二郎。石工杉田 <龍頭下の台石銘文> 昭和三十年四月、改修寄贈、所 二郎、石工杉田。 -- 解釈 -- 龍頭台石上に、石造の龍頭断片があり、弘化2年の分ではと思われる。 弘化2年(1845)に初代の龍頭(残欠のみ残 る)が作成された。 明治25年(1892)に多古町石工川口七左衛門 作の竜頭(現在のもの)が作られる。 昭和30年(1955)に、改修され、台石等が付 加される。 |
<霊物標石> 皿頭角柱型 台座含め総高90p。 滝前、左手にあり。「護符水」の文字が参詣者の方向を向く。 (表)南無妙法蓮華経日蓮大菩薩。斯人行世間。能滅衆生闇。 (左面)后五百歳中廣宣流布 (右面)御□/祖師 護符水 (裏) 天保十二□丑六月 □□本隆日帆(花押) 手前に、手水石があるが、紋のみで年号なし?。→蚊が大挙して襲ってきたのでよく見てない。 |
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